アゲハ飼育日誌2019年第51稿:
今回はエッセイ風に行きます。
飛べない蝶が生み出す幸せな空間
2019.10.23~11.8
最初はこう思っていた。
飛べない蝶に何の意味があるのか。
飛べないアオスジアゲハを毎日見ているうちに、それはとんでもない思い違いであることに気づいた。
飛べない蝶は我が家の窓際に、何とも幸せな空間を生み出してくれているのである。
この蝶は羽化不全体ではない。前回の日誌 で書いたとおり、細君の不手際で飛べなくなってしまったのである。
その手前、細君は毎日のように謝り、餌をやり、話しかけ、写真や動画を撮り、愛情をたっぷり注いでいる。
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昼の間は窓際にいる。
しばらくすると、蝶は窓に向かって歩き出し、アルミサッシのレールにはまって身動きが取れなくなる。(画像の手さげ袋はお気に入りのようなので、いつもこれに乗せている)。
この状態は不本意なことなのか、それとも望みどおりのことなのか、こちらには知るすべがなく、もどかしい。
暖かい日に窓が開いていると、網戸をよじ登るが、中間にあるアルミの仕切りのところまで来ると落ちてしまう。
大抵は床に落ちるが、たまに羽ばたいてレースのカーテンに飛び移れる時がある。そうなると、窓の上半分のほうまでよじ登る。
日が暮れてもそのままそこにいる。
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夕方に食事をとる。
細君が翅をつまんで、薄めたハチミツを染み込ませた脱脂綿の上に置くと吸い始める。
最初は口吻を爪楊枝で伸ばして脱脂綿に触れさせなければ吸わなかったが、今は置くだけで吸い始める。蝶は前脚に味覚があるからだ。
餌やりは1日1回で十分なので、幼虫に比べればずいぶんと楽である。
食事のあとはスピーカーの上に陣取って、眠る。
時々ロックやジャズが大音量で流れるが、微動だにしない。音楽を楽しんでいるのか、迷惑なのか。
反応がないということは、少なくともストレスにはなっていないと解釈していいのか。これも知るすべがない。
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こんな様子を毎日見ているうちに、切ない気持ちは徐々に薄れ、ひたむきに生きる姿に愛おしさを感じるようになった。
幼虫から育て、無事に羽化させはしたものの、飛べなくしておいて、なんと勝手な言い分だと思われるかもしれない。しかし、10月の下旬に飛び立っていたら、どうなっていたであろう。
花蜜は存分に吸えたであろうが、ペアリングの相手が見つかる可能性は極めて低く、寒い日があり、冷たい大雨の日もあった。
この蝶は飛べなくなってしまったけれど、うちにいてよかったのではないかと都合よく考える。
最近の羽化不全体3匹はいずれも短命で、1週間も生きられなかった。
この蝶は羽化した日から今日で17日目。毎日たっぷり吸蜜し、すこぶる元気である。
確かツイッターかインスタグラムで、羽化不全体のアゲハチョウ1か月生存の記録があった。この蝶も同じくらい長命であれば、あと2週間は生きられる。
今日は立冬。暦に合わせるように朝は冷え込んだ。それでも雲一つない秋晴れなので、窓際は暖かい。窓は南西向きなので、午後も西日で暖かい。
すでに蝶はレースのカーテンにとまっている。おそらく細君がつまんでとめたのであろう。
今はこの幸せな空間が一日でも長く続くことを願う。
飛べない蝶 生きててくれて ありがとう
2019/11/8,2022/2/6
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